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- 平清盛
当寺の本堂正面から南へ真っ直ぐ続く道を「不明門通(あけずどおり)」と呼びます。
これは源平争乱の時代、八十代の高倉天皇が当寺のすぐ南にあった「東五条院」にお住まいになられ、それに配慮して南側の門を開けなかったためにこのような名称がつきました。
「平家物語」でも有名な高倉天皇は平清盛の娘・建礼門院徳子が嫁いだ天皇です。
また高倉天皇が寵愛なされた美しい箏の名手「小督局(こごうのつぼね)」との悲恋物語も「平家物語」に収められ、また能の演目としてもよく知られています。
しかし、中宮である娘・建礼門院徳子よりも寵愛を受けていた小督に不満を持った平清盛は、小督が天皇の第二皇女を出産した後、「清閑寺(せいかんじ)」で出家させてしまいます。そして、その後の小督の消息は詳しく分かっていません。
当寺の住職が、清閑寺の住職を兼任してしていた時代があり、その繋がりで現在当寺には小督の遺品が三点伝わっています。平清盛と同じ時代を生き、平清盛により高倉天皇との恋を裂かれた一人の女性の遺品です。
小督愛用の硯と硯箱
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小督愛用の琴 | 小督の髪の毛で作ったとされる光明真言の織物 |
二〇一二年NHK大河ドラマ「平清盛」
※番組は終了しました。