前年の厄を払い、新たな新年が良いものとなるよう護摩法要を執り行い、祈願者の心願成就などを観音堂にある護摩壇にて不動明王に祈念します。元旦の参拝客には甘酒を振舞います。
その年初めての因幡薬師手づくり市。当時をご存じの方々の話によると昭和22、23年頃まで毎月二回、縁日にあわせて境内のみならず、近隣の道にまで夜店が出て賑わっていたとのことです。廃れてしまったその縁日を復興させようと、平成13年から薬師如来の縁日である8日に再び開催されるようになりました。
元旦と同じく観音堂にて護摩法要が執り行われます。元旦と違う点は、節分の際は北斗護摩というものになり、星の巡りが良くない人には一年間厄に遭わず無事に過ごせますよう、星の巡りの良い年の人には、更に良い一年となるよう祈念します。
本堂内に花御堂が作られ、その中に納められた金属製の釈迦如来の誕生仏に甘茶を潅ぎ、生誕の日を祝います。参拝後、アマチャを煎じて作られた甘茶を振舞います。
お盆の時期に合わせて施餓鬼棚を境内に出します。施餓鬼法要は餓鬼道に彷徨う霊を助ける意味合いのものです。元来は大きな木の下や大きな岩の近く、小川の流れるところで深夜に行われていたものですが、現在ではそれを模した施餓鬼棚を使って法要を行っています。
地蔵盆は、子供の健やかな健康を地蔵菩薩に願う行事です。因幡堂町に住む中学生以下の子どもたちを対象に毎年行われているもので、地蔵盆の朝には住職の読経と共に大きな一つの数珠を子どもたちが輪になって回す数珠回しが行われます。(毎年23日に一番近い土日に行われる)
神佛御璽祭は、鎌倉時代に当山本尊薬師如来と、石清水八幡を同じものとする考えがあった為、平成19年前から石清水八幡の禰宜の方と共に、当寺の本堂にて神佛御璽祭を行うようになりました。明治に入り起こった廃仏毀釈により廃れてしまった鎌倉時代の信仰のあり方に少しでも近付けていこうと毎年行っている行事です。
文献上では明治時代初期に狂言が行われたのを最後に長らく廃れていた演劇、芸能の奉納を復活させようと2007年より、野村万作氏、茂山千作氏らによって再び狂言が毎年上演されるようになりました。因幡堂は浄瑠璃の発祥の地という説もあり、古くから大衆の文化娯楽の発信源となってきたものと類推されます。
その年の一番最後の8日の日に行われる手作り市。
元旦に向けて閉門せずに初詣に来られる参拝客の方々を迎えます