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本尊薬師如来立像

度重なる火災の被害に遭いながらもその度に町衆の力によって難を逃れてきた創建当初の御本尊です。コロの付いた厨子の中におられ、頭には緩衝用の頭巾を被っておられる事でも有名です。作者は不明ですが、一説には平安中期から後期にかけて仏師康尚によって作られたとも言われています。

日本三如来

度重なる火災の被害に遭いながらもその度に町衆の力によって難を逃れてきた創建当初の御本尊です。コロの付いた厨子の中におられ、頭には緩衝用の頭巾を被っておられる事でも有名です。作者は不明ですが、一説には平安中期から後期にかけて仏師康尚によって作られたとも言われています。

  • 長野善光寺の阿弥陀如来
  • 京都嵯峨清涼寺の釈迦如来
  • 京都因幡堂の薬師如来

京都十三佛霊場

  • 一番  智積院  不動明王   東山区東大路七条下ル東瓦町964
  • 二番  清凉寺  釈迦如来   右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
  • 三番  霊雲院  文殊菩薩   東山区本町15丁目801
  • 四番  大光明寺 普賢菩薩   上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町701
  • 五番  大善寺  地蔵菩薩   伏見区桃山町西町24
  • 六番  泉涌寺  弥勒菩薩   東山区泉涌寺山内町27
  • 七番  平等寺  薬師如来   下京区因幡堂町728
  • 八番  大報恩寺 観音菩薩   上京区五辻通六軒町西入溝前町1034
  • 九番  仁和寺  勢至菩薩   右京区御室大内33
  • 十番  法金剛院 阿弥陀如来  右京区花園扇野町49
  • 十一番 法観寺  阿シュク如来 東山区清水八坂上町388
  • 十二番 東寺   大日如来   南区九条町1
  • 十三番 法輪寺  虚空蔵菩薩  西京区嵐山虚空蔵山町68

御朱印

度重なる火災の被害に遭いながらもその度に町衆の力によって難を逃れてきた創建当初の御本尊です。コロの付いた厨子の中におられ、頭には緩衝用の頭巾を被っておられる事でも有名です。作者は不明ですが、一説には平安中期から後期にかけて仏師康尚によって作られたとも言われています。

京都十二薬師霊場

  • 一番  智積院  不動明王   東山区東大路七条下ル東瓦町964
  • 二番  清凉寺  釈迦如来   右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
  • 三番  霊雲院  文殊菩薩   東山区本町15丁目801
  • 四番  大光明寺 普賢菩薩   上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町701
  • 五番  大善寺  地蔵菩薩   伏見区桃山町西町24
  • 六番  泉涌寺  弥勒菩薩   東山区泉涌寺山内町27
  • 七番  平等寺  薬師如来   下京区因幡堂町728
  • 八番  大報恩寺 観音菩薩   上京区五辻通六軒町西入溝前町1034
  • 九番  仁和寺  勢至菩薩   右京区御室大内33
  • 十番  法金剛院 阿弥陀如来  右京区花園扇野町49
  • 十一番 法観寺  阿シュク如来 東山区清水八坂上町388
  • 十二番 東寺   大日如来   南区九条町1
  • 十三番 法輪寺  虚空蔵菩薩  西京区嵐山虚空蔵山町68
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御朱印

度重なる火災の被害に遭いながらもその度に町衆の力によって難を逃れてきた創建当初の御本尊です。コロの付いた厨子の中におられ、頭には緩衝用の頭巾を被っておられる事でも有名です。作者は不明ですが、一説には平安中期から後期にかけて仏師康尚によって作られたとも言われています。

洛陽三十三所観音

  • 一番  智積院  不動明王   東山区東大路七条下ル東瓦町964
  • 二番  清凉寺  釈迦如来   右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
  • 三番  霊雲院  文殊菩薩   東山区本町15丁目801
  • 四番  大光明寺 普賢菩薩   上京区今出川通烏丸東入ル相国寺門前町701
  • 五番  大善寺  地蔵菩薩   伏見区桃山町西町24
  • 六番  泉涌寺  弥勒菩薩   東山区泉涌寺山内町27
  • 七番  平等寺  薬師如来   下京区因幡堂町728
  • 八番  大報恩寺 観音菩薩   上京区五辻通六軒町西入溝前町1034
  • 九番  仁和寺  勢至菩薩   右京区御室大内33
  • 十番  法金剛院 阿弥陀如来  右京区花園扇野町49
  • 十一番 法観寺  阿シュク如来 東山区清水八坂上町388
  • 十二番 東寺   大日如来   南区九条町1
  • 十三番 法輪寺  虚空蔵菩薩  西京区嵐山虚空蔵山町68
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御朱印

度重なる火災の被害に遭いながらもその度に町衆の力によって難を逃れてきた創建当初の御本尊です。コロの付いた厨子の中におられ、頭には緩衝用の頭巾を被っておられる事でも有名です。作者は不明ですが、一説には平安中期から後期にかけて仏師康尚によって作られたとも言われています。